南相馬市で暮らしています

訳あって2015年からの南相馬暮らしです。南相馬市に住んでいるというと、復興について聞かれることが多いので、南相馬市の現状がどんなものかをお伝えするブログを始めてみることにしました。

東電から賠償金をもらっている人と、そうでない人と

私もよく分かってないのですが、福島原発の避難対象地域に該当する場所に住んでた人たちは、今も賠償金をもらっているはずです。

1人あたり10万円/月かな?これは精神的な賠償で、家の賠償とかは、また別。賠償金でマンションを2つも3つも買ってる人もいるそうです。

 

精神的苦痛をお金に換算するのは難しいので、適した額は私には正直わかりませんが、この賠償金のおかげで、今まで見たこともないような額のお金を手に入れている人がいることは確か。避難者が働きもせずパチンコに通いつめたり、高級車を買ったり、悪評も上がっているようですが、これも原発事故の弊害と言っていいと思います。その生活の是非は私が判断することではないが、確実なのは原発事故によって人生を狂わされた人がいるということ。

 

でもねー、誰がどれだけもらっているとか、全然わからないんですよね。そりゃ誰も言わないですからね、いくらもらってるかなんて。特に(よっぽどの馬鹿じゃなければ)多くもらっている人は言わないでしょうね。

もちろん、エリア単位の一律の支給額は、ちゃんと調べればわかるでしょうけど、それ以上のところは誰のふところ事情もわからない。それが疑心暗鬼とか、妬み嫉みを産む原因にもつながっているんです。被災者間で格差があるわけですから。

たった数キロ、下手すると数百メートルの違いで、家は失ったけど賠償金をもらってお金だけはある人と、家は失っていないけど、賠償金はもらえなくて、葛藤はありながらもそこに住み続けている人と、どっちが幸せなんでしょうか。ま、どっちもしっかり不幸ですね。

 

 

 

 

引っ越しました

南相馬市で暮らしています、と言いながら、引っ越してしまいました。

私はやっぱり、あの街で暮らしていくのは嫌なのです。

 

今の南相馬の嫌なところは、まず治安が悪い。除染作業員とか、原発関係の仕事をする人が全国津々浦々から集まっているせい。もちろん、原発関連の仕事をしてくれるのはありがたいこと。でもそういう仕事をわざわざ選んでやる人って、言葉を選ばずに言えば、ロクな人がいないんですよ。

刑務所出たばっかりとか、小指がないとか、そんな人はザラですよ。女の人が襲われたという話はしょっちゅう聞くし、夜は信号待ちしている車に勝手に乗り込んでくるという話も聞くし(タクシーがつかまらないので、送ってけって言うそうです。お金をチラつかせて)、当たり屋みたいなのもいるっていうし(車を突然止めるらしい。ブレーキ踏まずにサイドブレーキで)。

地元じゃないし、今後定住することもないから、っていうのも犯罪を助長している要因。ハメを外している、とでも言えばいいんですかね。

 

お昼と夕方にコンビニに行けば、除染作業員だらけだし、道路は混むし、トラックの通行料が激増しているから(建築関係と、あとは除染した土を運ぶトラックも今後増えるでしょうね)道路はガタガタだし。

 

これから先の未来も明るいわけがないんです。だって住んでるの年寄りばっかりだし。子どもがいる家族は避難したまま(避難区域の人も自主避難の人も)、なかなか戻ってこないんですよ。そりゃ放射能の不安があるから外では自由に遊べないし、そもそも治安が悪いから外で遊ばせとくのも心配だろうし、私だって同じ立場だったら、まあ戻ってこないわ。

 

引っ越したとはいえ、実家があって、両親が住んでいるので、南相馬とは縁が切れません。憎むべきは東電なんですけどね。やっと責任を追求する裁判が始まって良かったですよ。あいつらがのうのうと暮らしていくなんて許せない。被災者以上に苦しめ。

 

 

どうなったら復興したと言えるのか

南相馬市に住んでいると言うと、復興は進んでいるのかと聞かれることがよくあります。

 

まだまだ除染の真っ最中だし、避難してる人もいるし、震災から5年もの月日が経とうとしてる割に全然進んでない気がしますが、そもそもこの町が復興したって、どういう状態になったら言えるんだろうかと考える毎日です。ま、そんなに真剣には考えてないですけど。

 

こんなブログを立ち上げましたが、私は復興に対してはけっこう不真面目なほうです。前向きな人に見られたら怒られそうですが、ただ淡々と現状を書き連ねていきたいと思っています。